はぁあああ、と大きくため息をついて、アレフは小奇麗に掃除されたベッドになだれ込んだ。
受け継ぐこと
一年ほどの遠征は、辛く、険しいものだった。
倒した敵の数は多くはないものの、高レベルの敵ばかりであったため、団員の多くが疲弊して帰ってきた。
今回の遠征の最後の戦闘で、彼の師でもあり副団長、という地位にいる人物・レオは、前方にいたアレフを庇い、左肩に傷を負った。
レオは、咄嗟に身体を捻り、肉が抉れるのを和らげると、自前の能力で痛みを抑え、じゃらん、と竪琴を爪弾き、目の前の敵を倒した。
白い上着が赤く染まっている。
ぽたり、と血が地面に落ちるのを、アレフは呆然と眺めていた。
自分より背が低く華奢なレオは肩で息をし、敵がぴくりとも動かないのを確認した後、直ぐに此方を向き、馬鹿者!!と怒鳴った。
びくり、と身体を振るわせた直後に、頬に鋭い痛みを感じたが、レオに平手打ちをされたのだと理解できたのは、目を開け、振りかぶった後の状態のままの彼を見てからだった。
あの時のレオは、恐ろしく怖かったな、と思い返す。
あんなに強いレオの師とは、どんな人物なのだろう。
途切れ途切れに知ることのできたレオの師。
フリー、という名のアーチャーであったということ。
温厚だが、強い精神の持ち主だったということ。
なんとなく、みなの話を繋ぎ合わせると、こうなった。
師にとって、どんな人物なのだろう。
ごろり、とベッドの上で寝返りを打ち、目の前の師のベッドを見つめる。
ベッドの上に置かれた竪琴、荷物を減らすために風呂へ行く前に脱いで行った紫の肩掛けと白い上着。
それから、横の小さな机に置かれた、小さなガラス瓶。
今まで気にしてこなかったが、何時も大切そうにしていたそれに、アレフは興味をそそられた。
近づいてみてみると、少し乾燥して崩れかけた葉が一枚入っている。
瓶にくくりつけられた皮紐は、年代物のようで随分くたびれている。
そうっと手を伸ばして、それを手に取ろうとしていると、がちゃり、とドアの開く音がして、誰かが部屋に来たことを知らせた。
この部屋は、アレフとレオが使っているものであるから、ノックをせずに入ってくる人物など、自分を除けばレオしかいない。
ドアのほうへ顔を向ければ、自然と彼と目が合う。
風呂上りで白い肌を少し赤く染めた彼の顔は、アレフの手の先を見た途端、忌々しそうに顰められた。
「それに触るな」
静かに、だが鋭く尖った声が突き刺さる。
びくり、と身体を震わせ、動けないでいると、レオはつかつかと歩み寄り、伸ばしたままだった手を、ぺしり、と叩いた。
は、として手を引っ込め、数歩後ろへ下がる。
その様子を端で見ながら、レオは小さなガラス瓶を、大事そうに手に取る。
「これは、駄目だ」
そういって首にかけ、胸元にしまいこんでしまう。
「それ、何なんだ?」
恐る恐る聞けば、金の睫毛を瞬かせ、話してやるよ、と笑われた。
ベッドに座るように促され、彼のベッドに二人で腰掛ける。
ゆっくりと、歌うように話されたのは彼の師の話。
どうしようもなく馬鹿で真面目で、強かった師。
垣間見える騎士団の過去、団長の過去、それから、両親の過去。
受け継がれた想いと、役目。
「でも、もう、これも必要なくなるさ」
そっと胸元に手を当ててレオは言った。
もう、ブラッドは独りじゃないからな、と明るく彼は言う。
「じゃあ、それはどうするんだ?」
「これは・・・、あいつのところに持って行くさ」
何時になく穏やかな師は、なんだか変な感じがした。
何かを思い起こさせる、と思い、記憶を探る。
ああ、母がブラッド団長のことを話す時と似ているのだ、と思い至る。
こんこん、とドアを叩く音に続いて、アレフ、風呂へ参るぞ、という声がする。
アレフの少し前に騎士団に入ったサムライだ。
「さっさと入ってこいよ」
先ほどまでの穏やかさは何処へ消えたのか、いつものように尊大な物言いでレオが言う。
「行ってくる」
「そうだ」
その声がアレフを呼び止める。
バンダナを取り、ベッドに放った所で顔を向けた。
「もうあんな真似するんじゃないぞ。次は平手じゃ済まないからな」
にやり、と意地悪く笑う彼。
「大丈夫だよ。ちょっと解った気がするからさ。俺の間合い」
俺はあんたより強くなるよ、あんたの師匠よりも、そう心の中で決意を固め、アレフはドアを開けた。