今日はこの町に滞在しよう、ということになり昼食を摂っていた。少し遅めの昼食だった。
用意された品々を食べようと、フォークとナイフを手に取った。銀色に輝くそれ。不意に、数日前の出来事が思い出された。突きつけられた刃。底知れぬ暗闇を潜めた銃口。うらぎり。出された食事。見抜けなかった混入物。やくぶつ。無くなる意識。現われる危険。かこ。理不尽な暴力。何処にでも潜む生命の危機。何故、油断した。何故、信頼した。裏切った奴の出す食事など、何が入っているか分かったものではないではないか。危険なのは分かりきっているではないか。何故、食べた。何故。そもそも、出会ったときから危険な奴だったではないか。初めて会った時、撃たれた。銃口は此方を向いていた。刃は此方を向いていた。信頼するべきではなかった。何故。
(でも、でも・・・)
信じれば、また失う。大切なものを。ルカを。現に、危険にさらした。二度も。何故。守ると決めたのに。仲間だと思っていたから?でも、守れなかった。刃を向ける、銃口を向ける男から、ルカを。ルカは傷ついた。裏切られて。混入物からも、守れなかった。睡眠薬だったから?関係ない。眠らされて、何処へ連れて行かれるかも分からなかった。睡眠薬ではなく、劇薬だったら?気付けただろうか。分からない。それでは駄目だ。それでは、守れない。
(きもちわるい)
吐き気。全て吐き出したいと思った。だから、手の力が抜けるまま、フォークとナイフから手を離し、席を立った。その時、テーブルに手をつこうとしてスープの入った皿を引っくり返したが、気にしていられなかった。
(ぜんぶ、はきだしたい)
スパーダ、ルカが名前を呼んでくれた。誰より愛しい人。でも、構ってられなかった。付いて来て欲しくなかった。どうしたの、アンジュが悲痛な声を出すのも聞こえた。大丈夫、自分のせいだから、そう思った。でも、言えなかった。口を開けば、全て吐き出してしまいそうだったから。
建物を出て、草むらの影まで走り、吐いた。
(リカルドだって、辛かったんだ。それは分かってる。だから、責めたり出来ない)
「スパーダ! だい、じょうぶ?」
全て吐き出して、呼吸を整えていると、ルカが来た。来て欲しくなかったのに、と思った。
「あ、あ。ちょっと、気分が悪くなっただけだよ。そんな、気にすんなって」
ルカが安心できるように、笑顔を作る。難しいな、と思った。笑顔を作ること。偽ること。
「そ、う。なら良いんだけど」
「わり、もちょっと吐きてぇから・・・」
「あ、うん。先、帰っとくね」
嘘。もう全部吐き出した。でも、今帰って、仲間に見せる顔が思いつかない。だから、まだここに居たい、そう思った。
飛び出すスパーダを追いかけると、彼は、草むらの影で胃の中の物を吐いていた。先ほどの昼食には手をつけていないはずだから、多分、朝食だったものだろう、と思った。少し落ち着いたように息を整えている彼は、とても儚く見えた。
会話の時に見せた笑顔、言葉。作り物であることは、すぐに見抜けた。けれど、それを言及するつもりは無かった。彼は、きっと自分の為に、そうしたから。彼の過去は、彼自身の口から聞いたことがあった。兄からの暴力。酷いものだと思った。食べ物の中にまで、危険があったとも言っていた。多分、彼は思い出してしまったのだと思う。銀に光る刃物から、過去を。リカルドの裏切りを通して。
(スパーダは自分の身を挺してでも、僕を守ろうとしている)
それと、多分、自分を失うことへの恐怖。以前、ハスタに刺された時、スパーダはほとんど寝ずに傍に居てくれていた、という話を聞いた。以後、何かあると、スパーダはすぐに前に立ち、守ってくれている。それが、ものすごく歯がゆく感じることがある。僕が守りたいのに、と。でも、彼のプライドを、決意を守りたい、と。
(多分、今、僕に居て欲しくない、んだろうなぁ)
き、と音を立てる扉の向こうには、アンジュとリカルドが居た。多分、イリアとエルマーナは部屋に戻されたんだと思う。事態が深刻なのではないかと思ったどちらかが、多分そうさせたのだろう。
「スパーダ君、どうだった?」
「気分が、悪くなったって。涼んで来るって言ってたよ」
「そう、なら良いんだけど。ご飯、部屋に運んでもらったから、後で食べてね」
「ありがと、アンジュ」
「いいえ」
にこ、と笑い、アンジュは部屋へ戻っていった。此処に立っていてもどうしようもない、と思い自分も部屋へ、と思った矢先、リカルドに声をかけられた。
「ミルダ、ベルフォルマは・・・」
「え?」
「何故、急に気分が悪くなったのか、心当たりは無いのか?」
「・・・」
「・・・如何か、したのか?」
「リカルドを責めるつもりは、ないけど」
(俺は、何をやっているんだ)
井戸の水で口をゆすいで、しばらくぼー、としていたら、目の前に黒い影が現われた。
「どしたんだ、おっさん」
何で此処に来るんだとか、今で良かったとか、色々な気持ちが混ざり合う。何でもないように、言うことが出来たかどうかは、分からない。
「すまなかった」
「何で、アンタが謝るんだよ」
「ミルダから、聞いた。お前の過去のことを」
「・・・」
知られたくないわけでもなかったが、特に言うべきことでもないと思い、ルカにしか言わなかった。過去。ならば、分かったのだろう。何故、こうなったのかも。
「だったら、もう良いだろ。アンタが考えたことも知ってるし、ちゃんとケジメはつけたろ。これは、俺の問題だ」
まだ、自分の中では過去が過去として扱われていない。これは、自分がケジメをつけ切れていないから起きた。自分の責任。
「けどな、次にルカの気持ちを傷付けて見ろ。・・・地獄より恐ろしいものを見る羽目になるぜ」
袖に隠していた一振りのナイフを影の首筋に当てる。青白い刃が太陽の光を受けて煌めいている。屋敷に居た頃、ハルトマンに持たされた護身用のナイフだ。
「承知した」
ぎらり、と光る色素の薄い灰紫色の瞳が、少し見上げる形になり、己を睨む。決して、彼の愛する人が正面から見ることは出来ないであろう、殺気を帯びた瞳にさえ、見ることが出来たことに喜びを感じる自分が居る。それほどまでに、倒錯した想いを抱いている自分が居る。
「なら、構わねぇ」
言い残し、踵を返す少年に、この想いが伝わることは無いだろう。
ナイフと吐き気と愛情と裏切り